| ボンビーゲージツカ的アーチ 2008
ゆぁ〜んゆよ〜んと揺れるアーチは、健在である。昨年から、補強の意味もありアケビの蔓も這わせている。 一番手は、そのアケビの花がアーチを点描するかのように愛らしく咲く。 二番手が、クレマチス・モンタナ系のピンク色のお花。クレマチスちゃんは、本当にお利口さんですぅ〜♪ 惜しげもなく咲いてくれるから。 最後に気難しい「バ」の字組の皆さん、ルイーズ・オディエとアンジェラ、ERのピルグリムと、新人ボビー・ジェームス 氏がアーチを彩る予定。 ん?一体どういう取り合わせ?と思われた方へ一言。この取り合わせには、何の脈絡もございません。ただただ我が家 に於いては、貴重な背高のっぽの長尺ものだというだけでございます。 今、クレマチス・モンタナ系が咲いている位置で、バラが咲いているのが見たいという一心で長尺物を植えております。 あまり日が当たらないという事、松の木が近くにあるという事などが原因で、ここに植られたがために天に召されたバ ラは、決して十を下らないでしょう。ああOrz そして最後にアケビだけが残った・・・な〜んて事にならぬよう頑張りたいと存じます。 めざせ!バラ満開のアーチ!っ って、目指してからかれこれ5年になりますが・・・。(;_;) ああ、それなのにそれなのに、咲いたのはピルグリム3輪って・・・。 |
| 旅する牡丹
この春、我が家の庭に一本の木がやってきた。母に頼み、実家にあった牡丹を取り木しておいてもらったものだ。 その牡丹は、毎年見事な花を咲かせるので、以前からおねだりをしてあったのだが、その時、初めてこの牡丹の木 の由来を聞いた。 なんと!この木は、元々曾祖母の庭(綾部市)にあったものだという。花が咲く頃になると、いつもお花屋さん が買いに来たそうである。そのくらい見事だったと母は言う。 それを取り木して祖母が貰い受け、その祖母から母が譲り受けた。そしてこの春、母から私が貰い受けた。という次第。 遥か明治の昔から、牡丹の木は、我が家の母方の庭で生き続けて来たのである。 戦争をもくぐり抜け、4世代にわたる時間を旅してきた牡丹。 こころなしか存在感が大きいように感じられてならないのだが、分かった事が一つある。 つまり、私の花好きはDNA由来だという事である。 私のせいじゃな〜い!DNAのせいだ! と、ある意味、免罪符を手に入れた私は、その勢いにまかせ、早速村田ばら園にバラ苗を発注したのであ〜るy(^_^)y。 |
| 窓辺のマダム達 2008
数年前、家の東側をつるバラでいっぱいにしようと夢見た私は、様々な名前のマダム達を喜々として植え込んだもの である。 が、日陰で冬になるとカキーン!と凍る場所は、バラの皆様にとってかなり厳しいものがあるらしく、一年経って成績の悪いもの は、植え替えざるを得ず、否、それまで保たずに(天国へ)旅立たれるマダム達さえも多々存在したのである。合掌。 そして、とうとう最後迄残って下さったが、マダム・プランティエールさまさまなのである。 何がどう良かったのかは、わからない。が、兎に角、マダム・プランティエールさまさまは、この場所で生きると決心されたらしく 、今年は特に勢いがいい。 「でも、マダムお一人では寂しいですわよね?」と、強健で名高いポールズ・ヒマラヤン氏をお迎えしようかと考慮中。 ああ、つる薔薇でいっぱいの窓辺は、いったいいつになったら実現するのだろうか? 「夢は夢だからこそ楽しい」という説がある。いいえ、そんな事はございません。 夢は実現してこそ意味があるのです! と、断言し、ポールズ・ヒマラヤン氏をお迎えする決意をした2008年でありました。 このどこからどう見てもジャパーン!的雨戸をバラで隠したいのですが、先は遠いかもしれませぬ。 取りあえずウインドウボックスの下に野葡萄を這わせてみました。 今年お迎えしたポールズ・ヒマラヤン・ランブラー様。期待は大きく苗は小さい。嗚呼 |
| ああ、憧れのスタンダードローズ
スタンダードローズってなんであんなにお高いんでしょう? 手間がかかるからですよね、はい。 欲しい品種のものが見当たらないのはなぜでしょう? 私の好みがヒジョーに偏っているからですね、きっと。 であるならば、自分で作ればいいのです! という訳で、真っ直ぐな野バラを森から庭に移動いたしました。 さあて、何を芽継ぎしよっかな〜! 隣接する森の中に野バラが沢山ありますので、台木には不自由しません。 後ろで上がっている狼煙(?)は、草木染め用の焚き火です。 |
| 植物と協同で作る庭
森の中に住み始めて十数年になります。周りを高い木に囲まれているので、日照時間が少ないのと、谷地池があるた めに湿気が多いのが悩みの種です。土地も葛餅のように痩せています。 つまり、お餅が石、きなこが土というトホホ状態なのです。 にもかかわらず、雑草はイジョーに元気です。 育ってほしいお花はいつの間にか消滅し、雑草の皆さんが大きな顔で繁茂しております。 十数年、やけに元気な雑草諸君とのいたちごっこを繰り返してまいりました。 が、或る日、天啓が舞い降りたのです。その声は、こう言いました。 なにも栽培種だけが、お花ではないのだよと。 という訳で、ハクサンフウロやゲンノショウコ、ホタルブクロなど、この土地の自生種を増やすように心がけるようになりました。 但しバラだけは例外です。 更に、よ〜く見ていると、植物も毎年少しずつ移動するのですね。 そして、何年かかけて最も自分の生きやすい場所へと動き、そこで定着するようです。 庭は、てっきり人間の作るものだと思っていましたが、植物自身の意志のようなものもあるのではないかと、最近は 考えるようになりました。 ですから、我が家の庭は、人間の意志もですが、植物自身の意図(?)も同じくらい反映されている庭です。 (ただ単に草取りをサボッているという説あり) ダリアをめぐる考察 ダリアは嫌いである。 私の中で、長い間、ダリアは、夏の終わりに咲くケバケバしい花というイメージだった。 そればかりか、幼心にも「妖婉な女性性」を持つ花だと感じていたように思う。 実家の庭にダリアは植えられていなかったし、学生時代に散々やらされた植物スケッチにもただの一度さえも登場しなかった と記憶している。 どうしてあんな花を植えるのだろう?植える人の気が知れないとさえ思っていた(ダリア好きな方、ごめんなさい)。 ところが、昨年の秋、そのダリアをきれいだと感じたのである。 えええええ!! そう感じてしまった自分に、かなり激しく驚いたので、その理由について考察を試みる事にした。 そうー夏の終わりから秋にかけて咲くダリアは、春の清楚な花々とはおよそ異なる魅力を持った花だ。 春の花が、10〜20代の女性であるとするならば、ダリアは50代〜60代の成熟した女性のもつそれなのである。 原村の秋、高く澄み切った青い空に向かって、咲いているダリア。 ひときわ大きな花が、60代で17歳年下のグレドと恋に落ちたあのコレットと重なる。 「これが、最後の恋なの。」と彼女は呟いただろうか? そう、ダリアは、大人の女性の最後の恋に似ているのだと思う。 秋に咲くダリアは、最後の恋のように妖しくそして美しい。 私は、今年はじめて庭にダリアを植えた。「60代の恋って・・。う〜ん・・・。」などと呟きながら。 だが、どう考えても私自身に恋の花は咲きそうにもない。 だから、私は、ダリアを植えたのかもしれない。せめて、庭で最後の恋を咲かせるためにー。 な〜んて、本当はプリザーブドフラワーの材料にするために植えましたです、はい(・ ・;)。
かなり妖しいダリア「黒蝶」 (画像は、はなどんやアソシエさん) ↑ 最後の恋はまだ咲かない(笑) ようやく咲いた「最後の恋」は、哀れバッタの朝食に・・・。
カタログを眺めていたら墓穴を掘ったお話 新苗の季節である。 「うふふ、今年はどのバラを植えようかな?」 バラのカタログを眺めてニヤニヤしたりクククと笑っている私の姿を見て、コドモがこう言った。 「あのさ、ママかなり不気味なんだけど?」 「だって、これはママの夢なのよ〜♪いつの日か庭中オールドローズだらけにするのよ〜♪」 「え、ママ、バラの苗枯らしたって言ってなかった?」 「そそ!!ああ、この日までにいったい何人の福沢さんが庭に消えていった事か・・・。」 あ、言うんじゃなかった(汗) が、時既に遅し・・・。 「ふう〜ん、で、何人消えたわけ?」とすかさずたたみかけるコドモ。 (かなり意識して)サラッと 「ん〜、2〜3人かな?」と言ってみる私。(本当はもっとです) 「2〜3人ねぇ?↑」となぜか語尾が上がっていくコドモ。 「いや、4〜5人かな?」と声が小さくなっていく母。 「あ〜勿体ない!それだけあればPCが買えるじゃん!!新型Iポッドも買えるじゃん!!」とコドモ。 「はい、そうですね・・・。」 でも、PCは、咲かないし香りも無い。それにプリザーブドフラワーにも出来ない。 だから、ママはやっぱりバラ苗(新苗)を買います。 「PCは、いつか買ってあげるから!」と言うと 「いつかっていつ?」とツッコまれました。 教訓:バラのカタログは、コドモのいない時間に眺めませう(・ ・;)
バラの無いローズガーデン ついに! とうとう!! 待ちに待った!!! オールドローズの季節となりました!!!! が、我が家の庭には肝心のバラが咲いておりません。 と、申しますのも、咲くやいなや、プリザーブドフラワーのA液に浸けてしまうからなのでございます。 今やお漬け物容器に3つ分の在庫がございます。 これをB液に浸けて加工すれば、我が家では一年中オールドローズが咲き乱れる〜!!! という未来予想図になっておりましてよ。 これは、もう考えただけでクラクラしてしまうではあ〜りませんか。 La vie en rose(薔薇色の人生)ってこーいうことなのね(^_^)。 と、一人悦に入る私の脳裏に流れて来たのは、ピアフの歌声ではなく、なぜかバッハの「主よ、人の世の喜びを」なので ありました。(たまには真面目に終わりたいと存じます。) OWN ROOTという考え方 よく言われるように、人生には悩みがつきものです。たとえそれが庭という楽しい場所であっても。 私も「バラが根付かないのはなぜか?」というたいへん深刻な悩みを抱えながら生きてまい りました。 そして、辿り着いたのが、「根っこ(台木)」のせいかも?」という、ある意味ごく当たり前の結論で あります。 ごく単純に考えて、誰かの根っこの上で生きているよりも、自分の根っこで生きている方がいいような気がするので す。 挿し木は、歩留まりが悪いため、商業ベースでバラを生産するためには向かない方法です。が、自宅の庭で自分が 楽しむ為に増やすのは、よろしいんじゃございません?と、思うのです。 OWN ROOTの方が、本来の色や形が出るという説もあります。その説が本当かどうかは試してみないとわかりませ ん。ですから、今年は、挿し木をせっせとしました。 これは、アーチに飽き足らず、家の外周もオールドローズで埋め尽くしたいという大いなる野望のなせる技 です。保険という意味合いも8割ほど含まれておりますが。 という訳で、来年を楽しみに待ちたいと存じます。 |
| 庭について庭で考えたこと2008 |